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【画像】坂田利夫の若い頃を振り返る!学歴や経歴など今までの活躍をご紹介

アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑いタレントの坂田利夫さんが29日、老衰で亡くなられました。

今回はそんな坂田利夫さんの若い頃の画像や学歴、経歴など今までの活躍をご紹介いたします。

最高のエンターテイナーとして活躍された坂田利夫さんの生涯をご紹介しますので、最後まで読んでくださいませ。

目次

坂田利夫の若い頃の画像

右:前田五郎さん 左:坂田利夫さん

今や知っている方は少ないかもしれませんが、坂田利夫さんは25歳ごろから同じ新喜劇で活躍していた前田五郎さんと漫才コンビ『コメディNO.1』を結成しています。

左:前田五郎さん 右:坂田利夫さん

こちらは1972年頃の画像です。

31歳の頃の画像ですが、良い意味に現在と変わらないですね!

右:前田五郎さん 左:坂田利夫さん
右:間寛平さん 左:坂田利夫さん

仲の良い間寛平さんとの2ショット写真です。

間さんは坂田さんの最期をご夫婦で看取るほど親交があったそうです。

この画像は1980年頃、アーモンドのCMに出演した際の画像です。

坂田利夫の学歴(出身高校・中学・小学校)

では坂田利夫さんの学歴を紹介していきます。

坂田利夫の出身小学校

坂田利夫さんの出身小学校は『大阪市立田中小学校』です。

田中小学校は大阪府大阪市にある小学校です。

こちらの小学校出身の有名人は以下の通りです。

松木平 優太(野球選手)

坂田利夫の小学校時代のエピソード

坂田利夫さんの成人後の身長は159cmで高いとは言えない身長ですが、小学校時代から低かったそうです。

以前インタビューで以下のように語っていました。

子供の頃から小さくてね、背はだいたい前から2番目くらいでしたな。学校の成績はわりとよかった。

引用:https://www.sanspo.com/article/20180410-LSEOWXCGMNNG3BWTT6J5HA5KR4/2/

坂田利夫の出身中学校

坂田利夫さんの出身中学校は『大阪市立港中学校』です。

大阪市立港中学校は大阪府大阪市にある公立中学校です。

こちらの中学校出身の有名人は以下の通りです。

野茂英雄(野球選手)

小学校に続き野球選手、しかも超有名選手ですが野球に強い地域なのでしょうか?

坂田利夫の中学校時代のエピソード

坂田利夫さんは中学生時代、台風の被害で家が壊れてしまったそうです。

その為、大阪市西区にあった製綱会社工場に一家で住み込んだそうな。

若い頃から苦労をされていた坂田さんですが、これすらも笑いに変えてしまいそうですよね。

坂田利夫の出身高校

坂田利夫さんの出身高校は『大阪偕星学園高等学校』です。

大阪府の私立高校で、偏差値は39〜47 とのことでした。

こちらの高校出身の有名人は以下の通りです。

  • 彦摩呂(タレント)
  • 金城 基泰(野球選手)
  • 姫野 優也(野球選手)

坂田利夫の高校時代のエピソード

高校時代のエピソードではありませんが、坂田利夫さんは高校卒業後就職し、いくつかの職を転々としていたそうです。

吉本入りする直前に勤めていたのは、大阪ガスの関連会社だったようです。

坂田利夫の経歴

続いて坂田利夫さんの高校卒業後の活躍をご紹介します。

吉本新喜劇研究生時代

坂田利夫さんは高校卒業後、いくかの職を転々とした後に1964年に吉本新喜劇研究生のオーディションを受け、見事合格しお笑い人生をスタートされました。

坂田利夫さんの本名は『地神 利夫(じがみ としお)』ですが、本名が覚えにくいという先輩からの指摘で『坂田』に改名したそうです。

ちなみに芸名の由来は将棋棋士の坂田三吉さんに由来するそうですが、将棋は苦手だったそうです。

漫才コンビ『コメディNo.1』での活躍

新喜劇に入った後、1967年に同じ新喜劇で活躍していた前田五郎さんと『コメディNo.1』を結成しました。

結成の背景としては、同じく新喜劇出身で漫才で成功していた西川きよしさんから『漫才はもうかるでえ』と転身を勧められ、コンビを結成したそうです。

ラジオの深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』の土曜日を担当し、同番組の全曜日通じての最高聴取率を記録するほどの人気を獲得しました。

またその後、1970年には上方漫才大賞の新人賞を受賞、1971年にはNHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞受賞、1972年上方お笑い大賞金賞を受賞する等、順調に漫才の分野での活躍を見せていました。

そして1972年8月にはキダ・タローさんの作曲でレコード『アホの坂田』をリリースし大ヒットしました。

筆者

『アホ アホ アホの坂田』という歌詞があまりに有名ですね!

このレコードは大阪の教育委員会から「サカタ姓の小中学生がいじめに遭っている」と指摘を受け、レコード会社が販売を一時見合わせるほど社会現象となっていました。

その後も1979年に上方漫才大賞を受賞するなど活躍を続けました。

ただ時が経って2009年8月31日、相方の前田五郎さんが中田カウスさんに対して脅迫状を送ったという疑いから無期限休養を宣言、コメディNo.1は解散しました。

ピン芸人としての活躍

引用:YouTube(映画:0.5mm出演時の画像)

コメディNo.1解散後は、『坂田利夫スペシャルコント』で主になんばグランド花月、よしもと祇園花月などの舞台で活動をしていました。

また2015年には映画『0.5ミリ』に出演、第10回おおさかシネマフェスティバル 助演男優賞を受賞し俳優としても活躍しています。

2022年4月には、吉本興業創業110年特別公演『伝説の一日』に出演、その後同年7月30日、YES THEATERで開催された『さざなみ寄席』に出演し、これが最後の舞台となりました。

その後2023年12月29日、交友のあった間寛平さんご夫婦に看取られる形で『老衰』によりお亡くなりになられました。

まとめ

ここまで坂田利夫さんの若い頃の画像や学歴・経歴を紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?

最高のエンターテイナーとして国民から愛された坂田利夫さん。

惜しまれつつも先日亡くなられました。ご冥福をお祈りします。

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この記事を書いた人

エンタメパルスの運営者サトシです!
サラリーマンとして働く傍ら、有名人に関する最新のニュースを中心に情報発信をしています。ぜひ気軽な気持ちで楽しんでいってください!

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